董存瑞捨身炸暗堡(作者網站)
這是人民教育出版社的語文課本第十冊第13課<董存瑞捨身炸暗堡>:
1948年5月25日,攻城的大炮震撼著整個隆化城,解放隆化的戰鬥打響了。戰士們像潮水一般衝向敵軍司令部所在地—隆化中學。嗒嗒嗒……從一座橋上,突然噴出六條火舌,封鎖了我軍前進的道路。那座橋架在隆化中學牆外的一條旱河上。狡猾的敵人在橋的兩側筑了牆,頂上加了蓋,構成了一座暗堡。衝鋒的部隊被壓在一個小土坡下面,擡不起頭。衝在最前面的一個戰士倒下了。
董存瑞瞪著敵人的暗堡,兩眼迸射出仇恨的火花。他跑到連長身邊,堅決地說:「連長,我去炸掉它!」
「連長,我掩護!」戰友郅順義也懇切地說。連長和指導員商量了一下,同意了他們的請求。
「同志們,打手榴彈!」連長給戰士們下了命令。
董存瑞抱起炸藥包,郅順義背起手榴彈,同時躍出戰壕,了上去。他們互相配合,郅順義扔一陣手榴彈,董存瑞就向前躍進幾步;郅順義再扔一陣,董存瑞再躍進幾步。跟在後面的戰友把一捆捆手榴彈送到郅順義手裡。
敵人的機槍更瘋狂了,子彈扑哧扑哧打在董存瑞身邊,地上冒起了點點塵土和白煙。董存瑞夾緊炸藥包,一會兒護左忽右地匍匐前進,一會兒又向前滾了好幾米。突然,他身子一震,左腿中了一槍。他用手一摸,全是血。敵人的機槍一齊向董存瑞掃射,在他面前交織成一道火網。董存瑞離暗堡只有幾十米了。他隱蔽在一小塊凹地裡。郅順義接二連三地扔手榴彈。董存瑞趁著騰起的黑煙,猛衝到橋下。
董存瑞看看四周,這座橋有一人多高,兩邊是光滑的斜坡。炸藥包放在哪兒呢?他想把炸藥包放到河沿上,試了兩次,都滑了下來。要是把炸藥包放在河床上又炸不毀暗堡。就在這時候,嘹亮的衝鋒號響了,驚天動地的喊殺聲由遠而近。
在這萬分緊急的關頭,董存瑞昂首挺胸,站在橋底中央,左手托起炸藥包,頂住橋底,右手猛地一拉導火索。導火索「哧哧」地冒著白煙,閃著火花。火光照亮了他那鋼鑄一般的臉。一秒鐘、二秒鐘……他想巨人一樣挺立著,兩眼放射著堅毅的光芒。他擡頭眺望遠方,用盡力氣高喊著:「同志們,為了新中國,衝啊!」
巨大的響聲震得地動山搖,前進的道路炸開了。戰士們衝過煙霧,沿著董存瑞開闢的道路殺向敵軍司令部,消滅了全部敵人。勝利的紅旗在隆化中學上空迎風飄揚。
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爆彈三勇士(作者網站)
很多人也許奇怪,老蔣在臺灣的小學課本裡,怎麼沒有像對岸有五壯士、董存瑞或邱少雲之類的「英雄」,這原因也很簡單,因為臺灣人對這類「造神」課文太熟悉了,寫了也騙不了臺灣人。軍國主義的祖師爺日本,早在戰前的臺灣小學課本裡,就已經現出「本尊」了,這是初等國語科二(三年後期)「爆彈三勇士」課文:
「ダーン、ダーン。」ものすごい大砲の音とともに、あたりの土が高くはねあがります。機関銃の弾が、雨あられのやうに飛んできます。
(「碰!碰!」伴隨著轟隆隆的大砲聲,周圍塵土飛揚。機關鎗聲中,一片槍林彈雨。)
昭和七年二月二十二日の午前五時、廟巷の敵前、わづか五十メートルといふ地點です。今、わが工兵は、三人づつ組になって、長い破壊筒をかかへながら、敵の陣地を、にらんでゐます。
(一九三二年二月二十二日的凌晨五點,就在距離廟巷的敵軍陣營前不到五十公尺的地方。現在,我們的工兵分成每三人一組,帶著長長的破壞筒,向敵軍陣營瞄準。)
見れば、敵の陣地には、ぎっしりと、鉄條網が張りめぐらされてゐます。この鉄條網に破壊筒を投げこんで、わが歩兵のために、突撃の道を作ろうといふのです。しかもその突撃まで、時間は、あと三十分といふせっぱつまった場合でありました。工兵は、今か今かと、命令のくだるのを待ってゐます。しかし、この時とばかり撃ち出す敵の弾には、ほとんど、顏を向けることができません。すると、わが歩兵も、さかんに機関銃を撃ち出しました。そうして敵前一面に、もうもうと、煙幕を張りました。
(放眼望去,敵軍陣營中佈滿了鐵絲網。工兵要做的事就是將破壞筒投向鐵絲網,為步兵開出一條突擊的道路。而且,事態緊急,到突擊之前只有三十分鐘。工兵們正在待命。但是,這個時候敵軍發射出的子彈讓人無法正面突擊。因此,我們的步兵也開始機關鎗掃射。就這樣,敵前瞬間揚起白茫茫的煙霧。)
「前進。」の命令がくだりました。待ちに待った第一班の工兵は、勇んで鉄條網へ突進しました。十メートル進みました。二十メートル進みました。あと十四五メートルで鉄條網という時、頼みとする煙幕が、だんだんうすくなって來ました。一人倒れ、二人倒れ、三人、四人、五人と、次々に倒れて行きます。第一班は、殘念にも、とうとう成功しないで終わりました。第二班に、命令がくだりました。
(「前進」的命令已經下達。正在待命的第一班工兵英勇地向鐵絲網突進。前進十公尺、前進二十公尺、前面還有十四、五公尺的鐵絲網時,做為掩護的煙幕逐漸消散。一個人倒下、二個人倒下、三個人、四個人、五個人,工兵一一倒下。第一班很遺憾地沒有達成任務。接著對第二班下達命令。)
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爆彈三勇士(作者網站)
敵の弾は、ますますはげしく、突撃の時間は、いよいよせまって來ました。今となっては、破壊筒を持って行って、鉄條網にさし入れてから、火をつけるといったやり方では、とてもまにあひません。そこで班長は、まづ破壊筒の火なはに、火をつけることを命じました。作江伊之助、江下武二、北川丞、三人の工兵は、火をつけた破壊筒をしっかりとかかへ、鉄條網めがけて突進しました。北川が先頭に立ち、江下、作江が、これにつづいて走ってゐます。
(敵軍的攻勢愈來愈猛烈,突擊的時間逐漸迫近。已經到了這個時候,沒有時間帶著破壞筒前進,再將破壞筒插入鐵絲網後點火。因此,班長命令大家先將破壞筒的引信點火。作江伊之助、江下武二、北川丞三位工兵握緊點著火的破壞筒,向鐵絲網的方向前進。北川帶頭,江下、作江緊跟在後。)
すると、どうしたはずみか、北川が、はたと倒れました。つづく二人も、それにつれてよろめきましたが、二人はぐっとふみこたへました。もちろん、三人のうち、だれ一人、破壊筒をはなしたものはありません。ただ、その間にも、無心の火は、火なはを伝はって、ずんずんもえて行きました。
(這時,不知什麼緣故,北川突然倒了下來。接著另外二個人也跟著步閥踉蹌,但是二個人馬上又踩穩了腳步。當然,三個人當中沒有任何一個人放下破壞筒。只是,就在這個時候,無情的火已經燒到了引信,接著燃燒了起來。)
北川は、決死の勇気をふるって、すっくと立ちあがりました。江下、作江は、北川をはげますやうに、破壊筒に力を入れて、進めとばかり、あとから押して行きました。
(北川鼓起不怕死的勇氣,站了起來。江下、作江像是要激勵北川一樣,把所有的力量都放在破壞筒上,從後面推著破壞筒前進。)
三人の心は、持った破壊筒を通じて、一つになってゐました。しかも、數秒ののちには、その破壊筒が、恐しい勢で爆発するのです。もう死も生もありませんでした。三人は、一つの爆弾となって、まっしぐらに突進しました。めざす鉄條網に、破壊筒を投げこみました。爆音は、天をゆすり地をゆすって、ものすごくとどろき渡りました。すかさず、わが歩兵の一隊は、突撃に移りました。
(三個人的心透過手中的破壞筒合而為一。然而,幾秒之後,破壞筒就將以驚人的威力爆炸。已經顧不得生死,三個人變成了一個炸彈,直挺挺地向前邁進。目標鐵絲網丟出破壞筒。一時之間天搖地動地發出了轟隆隆的爆炸聲。我們的步兵隊伍見機不可失,開始進行突擊。)
班長も、部下を指図しながら進みました。そこに、作江が倒れていました。「作江、よくやったな。いい殘すことはないか。」作江は答えました。「何もありません。成功しましたか。」班長は、撃ち破られた鉄條網の方へ、作江を向かせながら、「そら、大隊は、おまへたちの破ったところから、突撃して行ってゐるぞ。」とさけびました。
(班長也指揮部下前進。這時,作江倒了下來。「作江,做得好。有沒有什麼要交代的呢?」作江回答,「沒有。我們成功了嗎?」班長讓作江面對著已經擊破的鐵絲網,大聲地說「看吧!隊伍已經突破了那裡,正向前突擊。」)
「天皇陛下萬歳。」作江はこういって、靜かに目をつぶりました。
(「天皇陛下萬歲。」作江這麼說,安靜地閉上眼睛。)
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看了英雄的「祖師爺」,才發現中國的軍國主義還真不長進,都已經到21世紀了,還在搞20世紀初期日本軍閥的「造神」把戲。何況「天皇陛下萬歲」確實是戰前日軍的口號,至於土八路是文鄒鄒的喊「打倒日本帝國主義」,還是「宰了日本鬼子」?會不會喊「為了新中國」,還寫進小學課本裡,那就考驗大家的歷史常識了。
(摘自:臺灣小學課本裡的「軍人」一文)
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